一切の認識を生み出す源泉として、心の機能がある。

この音を聴き、この匂いを嗅ぎ、この光を見るのは、みなこの心の機能の発現によってなる。

このことを知ることそのものは、まだ重要な認識とは言えない。自分の目によって自分の目を直接に見ることができないように、この根本である機能を直視することはできないから。

でも、そのように知ることは、心の機能の重大性を認識する根拠としては十分だろう。

いかに外的に与えられるように見え、自分に内在しているとは到底思えないすべてのことも、
実際には取り取りに変化する心を見つめているに過ぎないのだと分かるから。

そのようにして、一切の聖性を知る。少なくとも、こうした考えはその入口となり得る。