さすらい

人生、今までどう生きてきたとか、これからどういう生活になるとか、全く考えることなく忘れて、自分が、ただのさすらいの旅人だと妄想する。僕はただ、今のこの自分の部屋に、さすらいの旅人としているだけなのである。何がさすらっているのかというと、魂がさすらっているのだ。僕のこの肉体や精神は入れものであり、さすらう魂がたまたま泊まる部屋の一つとしてここにやってきて、この時間と空間を見つめているだけなのだ。だから魂はすぐにここからいなくなってしまう。さすらう魂には記憶力というものがないので、自分がどこからきたのか、これからどこにいくのかも知らない。魂は言ってみれば馬鹿であり、そして僕という存在は空虚なのだ。しかしそうでもないなら、日常生活に内在する永遠というものには、説明がつかない。