やがて私は神的なものの前に立ち、
最後の審判を受ける。
そして、このように尋ねられる。
「お前は、これまで通過した
すべての思考、すベての時間を通じて、
そのようにあれ、と考えてきたか。
お前の良心に即して、
これらのことは何だったのか。
それは、良かったのか、
それとも、悪かったのか」
私は、自分の答えが、
はい、又は、いいえであることを望む。
そうであれば、少なくとも、自分がこれまで何をし、
そして、自分が何であったのかを、
知っていたことになるだろうから。
しかし、こんな答え方はしたくない。
「わかりません。
はっきりと答えることはできません。
そんな風に、物事を考えてこなかったのですから」