2017.9.3(土)

 こうして一人でいると、自然と何かを書いてみたい気持ちに戻ってくる。

 かまってちゃんは本当にすごいな。もう憧れってことさえないな。あまりに好きすぎて。こういう存在が今の時代に生きていて嬉しい。毎回ライブにも行けるし。

 

 本当に、入っちゃってる気持ち。すげーとしか言えない。夜中に海に行きたいとか思うのかな。俺は全然そんなこと思わないけど、でも夜の道を車にずっと乗っていたいと思う。すっかり入っちゃってる気持ちだ。今生きてるって気持ちでもあるし、もう死ぬんだって気持ちでもある。それはセックスだ。夢中な感覚。僕は生きられる。生きている。走っている。道が暗い。いや眩しい。あまりに眩しすぎる。明かりのない空間で道を見つめて、でも目を覆うほどに眩しい。こうやってたくさんの言葉をくだくだ連ねるしかないのが自分かな。何も言えていないに等しいかもしれない。でもどうかな、これが純粋さだ。自分はクソみたいな悪徳、悪癖にまみれていて、病的になるような時間もしょっちゅうだけど、この瞬間を求め、今ここにあるって事実だけは限りなく純粋だよな。

 

 8月が終わると秋っぽくなってきて、長袖を着て外に出たくなる。風が肌を冷やして、気持ちいい。風で季節が帰ってくると、忘れていた感情を思い出すな、と思う。思い出すことについて思うのが秋の風で、そのことについてしばらく考えるのも習慣だ。なぜこうして、切なくて、何もなかった夏でも、いろんなことがあり、いろんな仲間がおり、夜のイベントみたいなものまで影絵のように脳裏に浮かんできて、夏が終わるな、とかって思うのだろう。経験的な学習の結果だろう、と思ったりするが、どうなのか。風に思い出がふくまれているって考え方もあり得るかな。種が周期的に芽吹くような感じで。ま、どうでもいいことだ。大事なのは、俺は喫茶店にでも行きたいと思うこと。テラスのある喫茶店に行って、無為にコーヒーでも飲んで時間を潰したい。一人ぽっちの時間で、何をするでもなく、風を感じていたい。最高の気分だ。何とも安上がりなことに。誰かにこんなくつろいだ気持ちを、分けてやりたいとさえ思う。静かにムダにはしゃいでいる。横からつつかれて、そいつが何を言うにしろ、誰かが何かを話し始めたりしたら、笑い転げてしまいそうだ。