部屋の窓からは水平線が見えた。陽が直に射し込むのではないけれど、照明をつけなくても室内は明るい。白い壁紙の貼られた壁が、不思議にほの青く感じられるのだった。
彼女が廊下から何かを探してこちらの部屋へ入ってくると、どこか暗がりを抜けてすっと、今まで存在しなかった霊のようなものが現れてきた、というようにも感じるのだった。


その部屋は築50年も経ったコンクリート造りのアパートの5階で、住むのが一時と分かっていなければ、こんな場所を選ぶことはなかっただろう。敷金や礼金もなく、不動産屋で数枚の書類を書けば、少ない荷物とともにほとんど身一つで移り住んだという印象だった。
室内はきれいにリノベーションされたばかりだった。それでも、他にいくつか内見した比較的築の浅い物件とは、全く造りが違っていた。例えば洗面所が直接に廊下へ突き出していたり、風呂場に脱衣所がなかったりする。明らかに現代とは違う人の暮らし方を想定して造られた部屋で、表面は清潔でも、何十年も前にここで生活していた人の、体の動きや歩み、声の響きなどを想像してしまうようなのだった。それが不思議に歪で、ノスタルジックで、そのために僕がここを選んだという面はあっただろう。


K先輩の引っ越しの手伝いを引き受けた時、僕は無職で、何の当てもなく前の職場の友人たちと飲み歩いて過ごしてた。先輩は物件の契約更新の度に引っ越しをする人で、今住んでいる家に越すときも、荷物の運び込みを手伝った。そこは唯一の窓が墓地に面した部屋で、これではまるで悪い運命を辿るために道を選ぶようなものではないかと、焼け焦げたような卒塔婆の乱雑に立った墓たちを眺めながら、口に出さないでも思っていた。
先輩は仕事の他に演劇をやって、どちらかと言えばここに自分の存在を賭けているようなところのある人だった。どれほどこれを真剣にやっていたのか、生きることの中で演劇をどのように位置づけていたのかは、詳しくは知らない。きっとそれは本人にも明確にはわからなかったのではないかと思う。
一度だけ観に行った芝居では、K先輩はギロチンに掛けられる役だった。オリジナルの脚本で、どんな流れだったのかは忘れた。顔を真っ赤な絵の具で塗り、瞼の皺にまで塗り込められたその色を、照明の中で見た気がする。そのままKさんは処刑され、ギロチンが落ちるとともに舞台は暗転した。
あれじゃあ大江健三郎のパクりだろ、と一緒にきていた友達が言って、まあオマージュと言ってもいいんじゃないか、と僕は言った。芝居自体はコンテンポラリー過ぎて退屈だったように思うけれど、そのシーンが印象的だったのは事実だった。