人はそれを見つけるかもしれない

春の雨
風の音
何ということはない会話
木々のざわめき
薄い日の明かり
走っていく

だからそれに何という意味があるわけでもない。
ただ生きているというか、それだけだよ。
そう、明日には帰ってくる。
明日の今頃はあっちにいると思う。
別に何ということもないんだけど。
夕暮れはきれいだな。
風は涼しい。

網戸を開けるとからから音が鳴る。
前にそこを通った猫がいたけど今はいない。
今は暇だけど夕方には出かけなきゃいけない。
そう考えるとずっと暇な日もないね。

夜まで寝たことってない。

だから何だというけど。

人はそれを見つけるかもしれない。

(一人でいるときに自分で思うこと)

もし僕がタイヤだったら

もし僕がタイヤだったら、お父さんとお母さんを乗せてどこまでも転がっていきます。

ころころころころと転がって、この世の果てまでも転がっていきます。

もし僕がタイヤだったら、僕には目がありません。何も見ることができず、聞くこともできず、生まれたという記憶以外は何もないまま、ころころころころと転がっていきます。

弟たちも乗せてあげたいと思います。でも、弟たちもタイヤかもしれません。もし、弟たちもタイヤならば、弟たちも転がっていきます。ころころころころと、みんなで並んでどこまでも転がっていきます。

もし僕がタイヤだったらいいなと思います。朝目が覚めたらタイヤだったらと思うのですが、タイヤには朝がありません。

聖なる世界

だるい。この感じ。十分寝ているはずだけど、だるい。旅先だとよりだるい。みずみずしい気持ちでいられる肉体でいたいな。そう思う。健康にはこれまで以上に気をつけよう。もっと走ろう。もっと長く走ろう。食事もそうだろう。彼女はヘルシーな食事が好きだから俺もそれにあやかるべきだ。

茶店であんみつを食べる。僕は食べない。ここのコーヒーは濃い。前に飲んだあのコーヒーと似てると言う。ものすごくきついコーヒー。サルタヒコだっけ。それは違うかな。とにかくあなたがぎんぎんに効いちゃってあとで気持ち悪くなってさ。ね。あったよそういうこと。

目を開けるとくらくらする、と言うのとも違う。時間がわからなくなる。いや、時間がわからなくなるわけがない。時計はある。天井は何というか、重厚なつくりで、模様は呪術的だ。そうじゃない。世の中の模様について大して知らないから、呪術的にみえるんだろう。それにしても、模様というのは変だ。誰がこういうのを考えるんだろうね。誰が考えたというわけでもないのも多いだろう。

夢の中にいるみたいだけど、夢にいるわけじゃないってことはわかっている。人間は主観の檻の中に閉じ込められている。人間は主観の檻の中に閉じ込められている。だからそんなことを考えたって他人にやさしくできるわけじゃないんだよね。変に内省的になったりするのは自分のことしか考えられなくなっているときでしょう。それは思想じゃなくて幼児退行というかさ……。

俺はちょっと顔を洗いたいな。ちょっと顔を洗いたい。でもやっぱりどっちにしても少し歩き疲れてしまったな。つまらない思いをさせてごめん。そうやって謝ることもごめん。でも僕は少しでも人としてよくあれるようになりたいと思っています。

すごくオタクっぽい黒尽くめの服をきた男たちのテーブルにつく。彼らは僕の知らないゲームやアニメの話を途切れなくしている。正面の男がB4大の紙を差し出して言う。「コードは読めますよね?」 紙には見たことのない記号を使った数式のようなものが書かれている。僕はその読み方を知らない。でもここにこうして座ることは、このゲームに参加することを意味していた。

じっと雨の音を聞いている。光が見える。青い枝葉に反射する。音だけが聞こえる。そこには時間がない。夢に時間がないのと同じように。

誰かがドアを開ける。長いトンネルにこだまするような声。雨の中の足音。戦車。疲れている。それはとても気持ちよく。まるで昨日や明日のことなど、何も考えないで済んだ時があったかのようだ。

そこは広い河川敷で、きっとバーベキューをしているのだ。ずっと水の音がしている。それは川の音かもしれない。雨が降っているのかもしれない。