僕がそれを決める仕方は、一度にそう決めるのではなく、徐々に、積極的ではなく、むしろぐずぐずと崩れる砂の足場のように、あらゆる可能性を失うようにして、ようやく、これっぽっちのものしか残っていない、という仕方で、結局自分がはじめからそこに立っていた場所を見出す。

 

 ある種の開き直りが尊厳をもたらしてくれるということ。

 

 それもこれも、長い時間をかけた瞑想の過程なのだと思う。時間は黙ってくぐり抜けられる。僕は目をつぶり、とにかく正しくしっかりとした足どりで進めるかということにだけ、気をかけたい。それは思想や感情ではなくて、足腰や姿勢の問題になってくる。

 

 だからそれは道づれとお弁当を食べるような楽しさということ。

聖なる世界

内省はそれ自体病的な習慣だ。結局、無意識に、意図しないでも、それは生きているうちに死のことを考えるのと同じ。本質的にムダなことであり、少なくとも生きるための行為ではない。

 

僕はそれが一つのことの現れだと思う。経験にはいいものも悪いものもある。その一つ一つが重要であるのだけど、そのどれも重要ではない。またたった一つのことだけが重要なのだが、その一つのことだけが重要であるとは言えない。

 

それは一人でただ歩いている時の夜道。それは何もない海。それは夢の中に現れる誰もいない部屋。それはふとした瞬間に預言のように聴く言葉。それは旅先でのありふれた幸福。それは人生のありふれた悲しみや苦しみ。それは生きるための行為。それは暗闇の中の蝋燭。

 

あまりにも多くの記憶から現に今あなたは閉ざされていますね。こうしてここで生きている瞬間に、まるで夢の後と先が曖昧に溶けて消えるように、自分がどこにいるか、何をしているのかも分かっていないのだ。

 

生きるための考えでないものはすべて、長い目では死についての考えに、現実が現実であることへの批判や検討に、繫がっていく。

風船が朝になっても部屋の天井に浮かんでいる。

 

「目を当てて覗いてみましょう」

 

シャボン玉を吹いてぶくぶく泡が吹き出す。

 

耳鳴りがするから眠れない。

 

雪が降る日は部屋でテレビを見ている。

 

アニメのピンク色の小さい犬が暗闇の中でこっちへ駆けながら死んでしまった。

 

うるさいうるさいうるさいうるさい。

 

それは島だった。ホテルの大きな窓から見ていた。XXは自分の腕が切断される夢をみた。朝目覚めるとその夢は曖昧になった。

 

今は何年何月何日何曜日……。今は何年何月何日何曜日……

 

ピンク色の犬は暗闇の中でばらばらにほどけながらXXを追ってきた。知りもしない犬だったが生まれてからずっと連れ添った犬のように悲しかった。犬の映像はテレビの中にあり、XXはその背景の暗がりと一体になった。外では雪が降っていた。雪はこれから一晩中降って積もるのだった。表の通りでは足跡のない雪の面を街灯が照らしていた。別の時間ではその道を犬を連れて近所の男が散歩させていた。その近くの家の奥に入っていくと新しい木の神棚に気持ち悪い呪符みたいなものが貼られている。

 

シュールレアリスティックに描かれたメロン。

 

寝ていると深夜の同じ時間帯にいつも全力疾走していく男がいる。

その男は幻だ。

 

夢の中で死んだのに朝目が覚めると死んだことを忘れていく。

 

そのコーヒーを飲むな。…。

 

PXPXA

地面に浅く掘った穴に、足元から水が流れこんでいく。水は渦を巻いて穴の壁を削り、拡がった穴は水で一杯になる。水の隅に空が映る。そしてXX自身の影が映る。夢で見たような景色だと思うと、頭の血が冷たくなる。

 

それは夢ではない。映像も何もないから。ただ右へ左へ、前へ後ろへ、海流のように大きな流れが、渦が、大きく動いている。XXはそこにいる。XXは巻き込まれているようにも思う。でもそれを外から俯瞰しているようにも思う。流されている感触がある、というわけでもない。ただ渦があり、動きがあるということを、XXは知ってしまっている。そしてそれは宇宙全体をなぞらえているようだ、とも思う。それは目の前にあることの観測がそう思わせるのではない。考えが流れ込んでくる。

 

PXPXAが朝目覚めたとき、すべてがQになっていることに気づく。

 

PXPXAはXAXと喫茶店にいた。XAXは何かを喋っていた。彼は交友関係が広く、PXPXAが聞いたことのないような作家との関係について話していた。雨が朝から降っていた。PXPXAは雨のことについて考えていた。XAXの話に相槌を打ちながら、雨の街の風景が脳裏に流れていく。そこは道の狭く入りくんだ住宅街で、半透明の雨よけの下に一台の車があり、無造作に置かれた鉢植えがいくつかあり、白い猫がじっと立っている。表の道で赤い車が停まり、中から知り合いらしき男がPXPXAに手を上げて何かを言う。男はSALLと名乗り、その時の姿が永遠にPXPXAの脳裏に焼きついた。

 

「ピストル」

 そう、誰かが拳銃で打たれて、その打たれた男は打った男の肩に立ったまま頭を凭せかけ、諭すようにその頭蓋と皮膚や髪の熱と臭いを伝えて、やがて道に倒れて死ぬ。

 

ね、僕たちはこうありたいものだ。そうだね、僕たちはこうありたいものだ。そうだね、僕たちはこうありたいものだ。そうだね、僕たちはこうありたいものだ。

こうであってこそだ。

 

PXPXAの口の中は血だらけだ。修復しがたいほどに口蓋がぐちゃぐちゃになってしまったのだ。噴き出した血が池のようになって喉に詰まり、息ができない。歯医者にいるように仰向けになり、SALLの無骨な両手が口をこじ開けようとするに任せている。

 

自死について考えることは何度もあったけれども、そうして考えることの質が変化していることにも気づく。自殺という観念はじくじくとしている。それは実際に人を死に至らしめる痛みとは遠くても、日常を激しく蝕む。それは反復する原風景のようなものだ。荒涼とした景色に僕は連れさられる。その観念は二者択一の行為を迫るものではなくて空間である。個々人のための精神の最果てが存在している。それは行き止まりの部屋で、一人一人の死のために厚いコンクリートの壁でできた小さなワンルームが用意されている。そこで永遠に近い時間、孤独に自分自身を貪り続けるのだ。

雪の結晶 眩しい夜道の光

鍋の中でお湯の沸く 磁石はくっつく

夜の間は死体 夢で風船になった

朝は雨が降る

一杯の人たちが横切っていく

道は封鎖されている

「酔っぱらい」

小さな袋に入っている くわがた

ズルをして持って帰った

何か 喉がかわく 風鈴 ペットボトル

影 「終わった」 閉じる 自転車で行く 大きい深い穴を見る

「初めて見た」

「何が?」

「忘れてた」

「痛い」

「手が痛い」

車椅子 唾液 幻 疾走

どこまでもいく

サッカーゴールのある風景。夕暮れに子供たちが遊んでいる。空は真っ赤で、辺りは血のように黒く赤い。みんな自分たちがどこにいるのか、すぐそこにいるのが誰なのか、わからないほど影に溶けている。ある少年がサッカーボールの上に片足をついて立っている。そして誰かの名前を呼ぶ。

 

その森の木々はとても背が高い。辺りはとても冷たいけれど、寒くは感じない。湿度が高く、喉の奥が潤って感じる。見上げていると、空は白い。風が吹いて木々が揺れる。