微弱なもの

とにかく何かの味がする。何のどんな味かと言われると答えられないが、確かに味がしているのだ。どうも自分の舌で味わっているようではない。口には何も入っていないのだから。おいしいとか、おいしくないとかも、ない。何というか、ただ質感があるのだ。

 

こうした感覚は、同時にある思考を伴う。この思考は僕が考えていることだが、自分が考えているのだという印象がない。喩えていうならそれは、映画の字幕のように脳裏に流れ込んでくる、といえばいいだろうか。

 

曰く、

すべての物事は、この味のようなものである。今自分が感じているこの味には、実際にあらゆることの印象が含まれている。だから、この味をよく感じるべきである。この味の中にはたとえば、観念としての海がある。

 

観念としての海。そうだな、それもそのとおりだ、と僕は考えている。僕が思い描く海とは、観念としての海である。そんなものについて考えているか時が、最も幸せなのだ…。

 

ドアを開けて外に出ると、日ざしが眩しくて、空は青い。これもまた一つの確信ではある、と僕は思う。こんな思考がありふれているからこそ、かえって生きていることは面白い。このような思考こそが、何度も繰り返されてきたのである。

それは、空や海がそこにあることと同じように、新鮮に僕を驚かせる。