虹色の飛行船。金色の空に飛んでいる。めちゃくちゃ横に長い。きらきらと銀色の光を放っていて、パチンコ屋みたいな音がしそうだけどしない。それは三途の川じゃん、と思う。とにかく横に長すぎる。行ってみたい。


居間がなぜか真っ青な色に包まれている。僕は横になって、カーペットに頭がつく。妙にやすらいだ気持ちだが、このままだとマズい。

〔車を運転しながら男は言う〕

〔車を運転しながら男は言う〕

 

いや、違うんだ。それは違う。間違っている。勘違いみたいなものだ。確かに物事がそういう風に見えることはある。それはよくわかる。しかしそんな風にものが見えること、そしてそれを君がするように捉えることは、割によくあることなんだ。確かに僕が多くの事例に当たったわけではないけど、そう思う。そして実際にそうなのだと思う。だからあまりこだわらない方がいい。考えても何かが得られるわけじゃないし、そもそもそれは誤解みたいなものなのだ。ありもしないことへの期待というかね。まあでもそれが何かを証明するわけではないから、何を期待するというわけでもないだろうけどさ。とにかく、そんな風に思うことって、あり得ることだってことだ。太陽を反射して輝く海を眺めていたら、ちょっとは神秘的な気持ちになるとかね。そういうことと変わらない。つまりよくあることってことだ。もちろん大切なことかもしれない。それは否定しないけど。でも、あまりそうやって、口に出すべきでもない。

苺みたいにぶつぶつの空


酔って寝て、夜中に目が醒めると、頭の中で気持ちの悪い映像が、だらだら流れている。

人間の肉や内臓、血のぐちゃぐちゃになったもの。それがハンバーグのように捏ねられていたり、湿った土の坂道の上に落ちていたりする。

また、四方八方にうじゃうじゃする、蛆虫や、腐った木の中をうごめくたくさんの虫が、頭の中の暗闇を出たり入ったりする。

その虫が僕の内部から顔に向かって集まり、唇から這い上るようにして吹き出す、という様を想像する。

それは、「ああ、『死の観念だな』」と僕は思う。言葉よりもイメージで、死について思考している。僕ではなく、僕の脳が思考しているという感じ。それは変で、宇宙が思考してる、みたいな感じとも似ている。

完全なリラックス

完全にすべてが

リラックスした状態では

本当に何もかもが

どうでもよく

重要で

意味に満ち

虚無で

輝かしい


出かけたいけど

出かけたくなく

死にたいけど

死にたくもない


そしてそれは

決してネガティブな意味ではない


完全な状態だ


その完全な

リラックス状態は

いつくるかもわからないが

くると長くつづき

すべてを受容するような気持ちになり

創造性は高まり

内的なイメージは結び合って

極めて主観的な

快楽をもたらす


そんなときに誰か人といたら

驚くほど楽しく

きっと薬でもやってるみたいに

笑い転げたり

仲良くなったりするだろう


でもそんな時間がくるのは

大抵ひとりでいるときだし

そんな気持ちのよさは

あまりわかってはもらえないけど


でもやっぱり

いい気分はいい気分だ

 人がまっさらな感情を抱いて、何かに挑もうとすること、何か別のことをしようとすることは、なぜ感動的なんだろう? つまらない、広い視点からみれば、何であれこの世の中で起こる出来事は無益で、虚無的でさえあるように思う。だったらなぜ人は、その中で何かをしようとし、そして絶えず何らかの感情を抱くのか。それは一体何のためなのか、一つの本能、抱かざるを得ない欲望のようなものなのか。でも、結局人は何かを感じざるを得ず、何かを証明せざるを得ず、そうして生きざるを得ないだろう。本当の悲しみは、虚無に向かって自分をひた走らせる感情にある。でもこれも、僕たちの本質から分かちがたいものだ。そのような意味では、人は自死を望むからこそ生きて、そして強い感情を持つこともできる。これは本当に解けない謎だと思う。永遠にこのプロセスの中にいると言ってもいい。どこまで行っても、すべては虚無であり、また虚無ではない。