すべては無作為にそこにある。
何もかもがそのようにそこにある。
すべてはあるがままにある。

この目には入らないだけで、
同じ時間に生起している出来事が確実にあるということ。
例えばこの部屋にいるとき、
表の通りを歩いてく人や、
車の通りや、
風に揺れる草木や、
そうしたものが限りなくあるのだが、
それを見ることはできない。
それは確実にあるのだが、
見ることも知ることもできないという
そのこと。

法華経

法華経の薬草喩本を読みながら、この頃ほとんど経験したことがない、深い瞑想に入るような感覚を覚える。

・すべては心の産物である
・私というものは存在しない
・私の心と思えるものは結び目、淀みのようなものである

このような心の状態は、ネガティブな感情とは共存しえない。

理解できないことも多いけど、こうした考えに日々親しんでおくことは、よいことだと感じる。

感覚としてはデヴィッド・リンチや武の絵も思い出す。

夕暮れに無神論が喋っている

子供の頃は静かな部屋の
冷蔵庫の音がよく気になった
一人で暮らしている人は
ずっとこんな冷蔵庫の音を
聞いていて大丈夫なのだろうかと思った

何にもない広場で
ワーワーと話している無言
宇宙の広大さを感じるのは
何でもない瞬間だな