グラウンドの砂の上に何度も頭を打ちつける。上から靴で足踏にされていて、まるで人間を扱う様ではなく容赦がない。あまりにも激しい圧迫されるような痛み、時間が止まるような痛みによって、僕は今という時間を失っていく。頭蓋骨が砕け散って、破裂した風船のように血を撒き散らせるビジョンが浮かんでくる。

 

「すべての事柄は幼少期のある一点において与えられており、そこから先の物事は何もかも、その始まりに内在する物事の帰結として現れるに過ぎません」

「しかし、あらゆる瞬間がまた別の瞬間のための原因でもあるわけです。それは必ずしも因果ということを意味しない。むしろ夢のように無秩序に交錯するイメージでさえ、やはりそうした成り立ちを持っているということ。こうした展開には何の意図もないのだけれど、しかし生き物の成長のように、非常に整然と行われていく」

 

 誰かが僕の喉をつかみ首を絞める。その感覚を僕は非常に生々しく感じる。その手は、冬の夜の地中に長く眠っていたために芯から冷たく、紫がかって腐敗しているのにも関わらず、極めて強い力を持っていた。それは本能的な、確信や憎しみのこもった力でありながら、それでいて誰か特定の対象に狙いを定めたわけでもない、盲目的な力でもあった。

『仏像』

 深夜、その不思議な音に誘われるように僕は、三男坊の部屋へ入っていくと、光輝く仏像がそこに鎮座していた。背丈は膝ほどの高さだった。光は白く、青みがかっていて、神聖な感じがした。仏像の眼は金色の輝きを放っていて、僕は状況がよく分かっていなかったが、その前で手を合わせた。目を瞑り、寺や神社でよくするように、何かいいことが僕や周りの世界に起こりますように、とごくありきたりな願いを念じた。

 すると、そうして閉じた瞼の裏に、赤い火の玉が楕円を描くようにして旋回しているのが、段々はっきりと映ってきた。それは小さな人間であって、彼の背中に背負った薪のようなものが激しく燃えているので、それを脱ぐことができずに困惑して走り回っているのだった。僕はその男の影が、自分の左耳と右耳の間を通り抜けていくように感じていた。それはとても鋭く、耳が痛くなるほど甲高い音を聞いているときに受ける感覚と、よく似ていた。

 誰かが僕の足元にまとわりつくので、驚いて目を開けると、そこは燃えさかるアパートの前で、すでに消防隊が駆けつけて、野次馬の人だかりができていた。僕はそれがいつどこの光景か知っているように思った。それは僕が小学生の頃に、同級生の女の子のお兄ちゃんが亡くなってしまった火災の現場らしかった。僕は自分が今生きているよりも、ずっと過去の舞台にいることを知っていたので、そこにいて火を見ている人たちも、今アパートに生じている危機も、すべて現実のものではないと分かっていた。

 僕の足元にまとわりついたのは、母親になっていたSで、彼女は抱えて走ってきた赤ちゃんを地面に落とし、その子の頭はまるで中身が空洞の石膏みたいに衝撃で粉々に砕け散ると、真っ赤な血をアスファルトの上に巻き散らせた。その血の生々しい色の上に、夜に燃えさかる炎の光のかげが揺らめいているのを見た。

 アパートの正面玄関から、背の高いがっしりした体型の男が、まっすぐにこちらへ向かって歩いてくるところだった。その男の影は炎を背景にして真っ暗にみえた。同時に、何か呟くような声が聞こえていた。誰か僕のそばに立っている人がその言葉を言うのか、それとも僕の内心の無意識の呟きなのか、いずれにせよ、僕にはSがそれを言っているように思えていたが、彼女は僕の足元にいて何を話すこともできないでいる。

 次の瞬間に眼を開けると、僕は学生時代のSのワンルームのアパートにきていて、壁を背にしてこたつに入ったまま、少し眠っていたようだった。Sは同じ室内の台所でこちらに背を向けて洗い物をしていて、その向こうの窓からは昼すぎの光が入ってきていた。もういかなくちゃいけない時間になったな、と僕が今ふと思いついたように言うと、Sは何も言わなかった。僕は面倒なことをあれこれと話すのは嫌で、手早く準備をすると外へ出てしまった。

 そしてそこは僕にとっては見たこともない街だった。5階ほどの高さの廊下から、トンネルをくぐって電車が走っていくのが見え、その音が大きく聞こえた。

 ここはどこだろう、と僕は思う。そしてなぜここにいるんだろう、と思う。しかし記憶を辿れば僕は経緯を思い返すことなんて、すぐにできると分かっている。でも、よくそんなふうに思うことがある、と僕は思う。ここはどこだろう。なぜここにやってきたのだろう?

ある男がいて、僕はその時夜の公園のベンチに座っていたのだが、男はスーツを着ていて、胸の辺りを僕の両膝の上に乗せてうつ伏せで寝ていた。彼は少しも動かず、また大して重くもなかったために、何か大きな袋のような印象を僕に与えた。

季節は夏で、夜は過ごしやすい穏やかな涼しさだった。ベンチからは海が見え、遠くに工場の明かりが見え、波と船のエンジン音が聞こえていた。




息を吸って吐く。僕は酔っ払ってタクシーに乗っている。酔ってタクシーに乗って俯いている僕を、別の視点から僕は見ている。僕は悪い夢をみている。それは僕が宇宙船に乗っていて、その中で影のような男が現れ、その男と向き合ううち、宇宙船もろとも世界が崩壊する危険を感じている夢だった。雨がものすごく強く降っていて、窓をざぶざぶと洗っているみたいだった。


深夜の道路で道は低くなりトンネルになっている。月明かりしかなく道が暗くて、それなのに静かな走行音を立てながら周りの車と一緒にそのトンネルへ入っていく。少し進んだだけで右も左もわからないほど真っ暗になる。周囲に基準となるものがなくなるため、どの程度の速さで進んでいるのかもわからなくなる。僕はこの車がゆっくり下へ向かって落ちていっているのではないか、と思う。まるで海底に沈んでいくように。

しかしそれは夢で、目が覚めると僕は夏の海にいて、浮き輪につかまって少し沖の方へきているところだった。そして向こうには砂浜にたくさんの人影やパラソル、車などが見えた。じっと僕が空を見ていると、下の方から人影が出てきて、それは女性で、髪を束ねて黄色い水着を着ていた。それはSで、僕があまりにも帰ってこないので心配になって見にきた、と言った。みんなはもう上がって、少し離れたところでビールを飲み始めているんだ、と言った。女の子はみんなあまり海に入らなくて、わたしは泳ぎたかったから一人でバシャバシャやっていたんだ、と言った。ビーチの奥の方の沖で、何か魚を見つけた、みたいな話をしていた。

僕は丁度喉が渇いたから、ビールを飲みたいと言った。こんな感じのときにビールなんて飲んだら、ぐっと回っちゃうだろうね、と言った。それで、今日で何日ここにいるんだっけ、と僕は聞いた。

変なの、とSは言った。わたしたちは今朝早くここにきたばかりで、これから一泊するんだ、と言った。

そして僕たちは砂浜の方まで泳いで行って、同じ仕事場の岡田や山下といったやつと適当なものをつまんでビールを飲んだ。かなり早い時間にベットで眠ってしまった。ホテルの近くで猫がうろうろしていたのを覚えている。






猫がボールを投げたり、キャッチしたりする。そしてより大きな緑色のボールに飛びのって、バランスを取ったりする。猫はボールの上で器用に、最初は両手で、やがて片手で小さな球をくるくるとお手玉する。それは見たことがないCMで、僕はそれを眺めながらキリンビールの小瓶を注いだ小さいグラスから飲む。僕は浴衣を着ていて、近くの窓からは岩がちの海がやや下の方に見える。僕はすでに割と酔っていて、眠くなってきていた。部屋の畳の隅で、進藤が脚を投げ出して何を話すわけでもなくゲームをしている。わっと脅かすように、後ろから岡田が僕の方をつかんで、何を陰気にやってんだよ、と言う。彼らは別の部屋で卓球をしていて、まだゲームの最中だが、彼はタオルを取りにきた、と言って自分の鞄を探していた。僕はすごく眠いんだ、と言った。海から戻ってくると、妙に疲れていて何もする気にならなかったのだった。僕は窓の方に寄って行って、崖のようになった黒い岩場をみた。子供づれの家族がそこを歩いているのがミニチュア状に見えて、男の子の帽子が吹き飛んで海の方へ落ちていった。声は聞こえなかったけれど、お父さんもお母さんも慌てて、残念がってるのがわかった。

岡田くん、と僕は呼んだ。俺も1ゲームやろうかな?

行こうぜ、と彼は言って、壁の柱に手をかけて靴を履きながらこっちを見た。

やっぱやめとくわ、気が変わった、と僕は言って笑った。何だよ、と彼も笑って、部屋を出て行った。




夢の中に出てきた、危ない感じの真っ黒な男は言った。…僕はパンを食べる。僕は銃殺される。僕は磔刑に処される。僕は金魚が養殖されている生簀と生簀の間に立って緑の水面を眺める。僕は居酒屋で新鮮な刺身を食ってうまいと言う。僕は車に乗っているときに後部座席を振り返らないまましりとりに応じる。僕は親戚の子供に昔話をして、ヨーロッパのどこかしらの国の失われた財宝についてのでまかせの話をする。僕は彼女と旅先のホテルに行って、彼女の腰を抱いて立ったままでキスをする。僕は青いテレキャスターを弾いて屈んでマーシャルアンプのチャンネルを替えてゲインをいじる。


僕は高層ビルのエレベーターに乗っていて、地元の高校で一緒だった竜崎がいきなり向こうから入ってきたのに気づいて驚く。向こうは気づいていなくて結局その日は話さなかったが、2,3日してまた会って、その日は夜飲みにまで行った。そしてやまてぃーと呼ばれていた2年のときに同じクラスだった、あまり面識のない男が死んでしまった話を聞いた。僕が仕事をもうやめることが決まっていて、地元に帰ろうと思っていると言うと、俺は出てきたばっかなのに残念、と竜崎は言った。竜崎と僕は高校の時は仲がよかったが、その後疎遠になっていて、しかしこうしてまた会ってみるとやはり馬が合って、飲めるならまた飲みに行きたいと思った。竜崎は酔うと道でナンパをし始めて、僕を巻き込もうとした。いや、こういうのはやめてるんだ、真面目になるんだよ、と僕は言った。そして今の彼女と結婚しようと思っていることなどを説明した。竜崎は何か反論してくるかと思ったが、案外そうかー、と言って、何か感じ入っている風で、本当にあんまり遊べなくなるね、と言った。別にそんなことないだろ、と僕は言った。色々できることはあると思うし、と。例えば?と竜崎は聞いた。例えば…、釣りとか? お前、釣りするん? いや、全然しないけど。 はは、なんか、じじいみたい、と竜崎は言った。わかった、じゃあ今度は釣りをしよう、と彼は言った。具体的にどうこうする予定を決めはせずに、僕たちはその日は別れた。僕は、何年かのうちには、実際釣りは行ってみたいな、と思った。別に、必ずしも竜崎でなくてもいいけど。僕はなぜが月が大きく出た夜の釣り場を想像しながらタクシーに乗っていた。


ビール瓶をふーふーやって風の音を立てる。

 

真っ暗闇に上がる金色の花火。

 

とにかく色とりどりの眩しい閃光を放つ花火みたいな光。

 

赤い首輪でつながれて、じっとこっちを見ている白い犬。

 

マクドナルドでハンバーガーを食べる。窓の外の高いビルでクレーンが音もなく首を動かしている。


おしゃれな感じの動物を木の板にはめる、子供向けの知育のおもちゃがあって、手を触れるとぺとぺととして、クッキーの匂いがするな、と思った。

そこは車のショールームで、いくつかの車が置いてあったがあまりその印象はなく、学校だとか公の施設っぽい雰囲気の、障害者用のトイレがあって、その方面にいなくなった誰かが戻ってくるのを待っている。


うす暗い宝石店で、濃い青のケースに載った、きらきらした装飾に囲まれた青い宝石を、白い手袋をしたMr.ビーンみたいな濃い顔の店員に差し出される。


階段を降りていくとき、暗いから体を支えるために壁を軽く擦っていた左手の側から、ぐっと顔を出している男がいた。

ここは宇宙船であり、僕は非常に危険な状態にあった。それは身体や精神に対する極めて物理的な危機であり、世界の崩壊を意味した。僕はSF映画のように機械装置の多い無機質な部屋で椅子に座り、その黒い正体不明の男と向き合った。世界もろとも自我が消えてなくなると思った。

それは夢で、目覚めたとき僕は夜のタクシーに乗って、ひどい寝汗をかいて頭痛がした。雨が降っていて東京のどこかわからない街の明かりがきらきらしていた。




引っ越し屋のスタッフが両側から荷物を吊って、マンションの階段をゆっくりしたペースで運んでいく。こんなふうに魂が運ばれていくんだな、と思う。何となく眠い。

 

子供たちは駄菓子屋の前に自転車を停めて集まり、甘辛くて手がベタベタになる20円のイカのおやつを食べている。

 

校庭のフェンスの信じられないくらい高いところに、ぼろぼろになった花輪が付いている。

 

深夜の街をビカビカと光を放って走る車は、ささやかな走行音しか立てていないのにも関わらず、耳をつんざくほどのうるささに感じる。

 

このまっすぐな道の遥か先で、地獄に繋がるその大きな口を広げて待っている悪魔。

 

その女の子に小さな包み紙に入ったラムネを渡した夕方。

 

どこの誰かわからない家族の色々なシーンが写っている写真が、公園をちょっと出た道路の脇に散らばっている。少し色が褪せていて、古い写真なのだろうな、と思う。

 

夕暮れの時間。僕は自転車に乗って、家に帰ろうとしている。

夕暮れの誰もいない教室。廊下を均等な速度で奥へ向かって歩いていく先生が、窓から見える。

 

彼女の指。

 

辺り一面が、黄味の強い濁った灰色に染まっている。そんな曇り空の時間。


夢の中に深い森が出てくる。その入口近くで子供たちが遊んでいる。大人の僕はそばに行って、両手の中にきらきら光る金色の何かを持っている。子供たちがそれに向かって集まってくるとき、彼らの独特の匂いや温かさを感じる。

夜は風が吹いて、耐えがたいほど冷たくなる。僕は室内でバイオリンを弾いている。子供のうちの一人が、僕を後ろから目隠しして、そんなことをしたら、何も見えなくなるからやめろ、と僕は言う。

子供たちが素足でペタペタ鳴らす音を聞きながら、まるで小さな鬼みたいだな、と思う。


異様にたくさんの乳房を持った犬。


明らかに誰かに向けて書かれ、何かを伝えるためにテーブルの上に置かれた置書きで、文字はひらがなや漢字に似ているのだけれど、しかし日本語の文字とは実際には少しも合致せず、何一つ理解することができない文章。


水色のパジャマを着た少年が、足を少しも動かさずに、高速で深夜の巨大な城を駆け巡る。