聖なる世界

内省はそれ自体病的な習慣だ。結局、無意識に、意図しないでも、それは生きているうちに死のことを考えるのと同じ。本質的にムダなことであり、少なくとも生きるための行為ではない。

 

僕はそれが一つのことの現れだと思う。経験にはいいものも悪いものもある。その一つ一つが重要であるのだけど、そのどれも重要ではない。またたった一つのことだけが重要なのだが、その一つのことだけが重要であるとは言えない。

 

それは一人でただ歩いている時の夜道。それは何もない海。それは夢の中に現れる誰もいない部屋。それはふとした瞬間に預言のように聴く言葉。それは旅先でのありふれた幸福。それは人生のありふれた悲しみや苦しみ。それは生きるための行為。それは暗闇の中の蝋燭。

 

あまりにも多くの記憶から現に今あなたは閉ざされていますね。こうしてここで生きている瞬間に、まるで夢の後と先が曖昧に溶けて消えるように、自分がどこにいるか、何をしているのかも分かっていないのだ。

 

生きるための考えでないものはすべて、長い目では死についての考えに、現実が現実であることへの批判や検討に、繫がっていく。