・その昔靴を泥だらけにしながらエアガンの打ち合いをしていた広場は、一棟の背の高い塔を除いてその向こうにみえるものは何もなかった。どんよりした空だけみえた。今にも雨が降りそうに空気が湿気ている。その塔は赤かった。くすんだ赤い色だった。その塔の赤い非常階段みたいな階段を上っていくと、てっぺんから巨大な水鉄砲みたいなものが打てるようになっていた。そこから地上の子どもたちに向けて放水するとびしゃびしゃになって遊んでいた。そんな光景をよく思い出したのだけれど、エアガンの打ち合いをするころには塔の水鉄砲は壊れたか、あるいはもう使えないことになっていた。

 

・ドーム状の屋根の下が何の施設になっているのか知らなかった。白いふちのガラスのドアには鍵がかかっていて、全体にブラインドが降りていた。座席とテーブルがあって、整然と並ぶよりは雑然としていたようにみえた。外が真昼でも中は暗くて静かで、涼しそうだとも、ほこりっぽそうだとも思った。その建物をめぐって真っ赤な縄が張りめぐらされていた。後方から階段で登れるようになっていて、そこからは手足でよじ登るのだった。縄は固くてざらざらして、風雨に晒されているので少しずつ色あせていた。登るとまるで亀の甲羅の上にいるみたいだと思った。でもその建物は亀ではない生き物を模して作られていた。それが何の生き物かはわからなかった。ずっと見上げるほど高い首がそびえていて、頭部の両側から目玉が飛び出していた。恐竜のようにもみえたし、きりんみたいでもあった。でもそれは水鳥なのだと後になってわかった。

 

・おじさんが新興宗教に入っていて、今でも色々と買っているだろうけれど、昔も物を買わされるというか、買うときがあって、祖父母のお金を使って買った絵が一枚、玄関から階段を登っていった突き当りのところにかけてある。階段はそこでL字に折れ曲がってまたちょっと登り、二階にいたるのだがその全体が吹き抜けになっている。だから絵は壁のかなり高いところにかかっていて、踊り場というには狭いその曲がり角にはしごでも置いたのでなければ、かけられないようなところにある。昔からその絵はあって、虹のかかった空の下の小さな家から、カラフルな服を着たインディアンのような少年が手前に向かって走って逃げてきている絵だった。よい絵だと思ったわけではないかもしれないが、なんだか印象に残ってみていた。背景は空の水色と地面の白で2分割されている。白い地面には少年の影が小さく落ちている。あと、黒い点で表現されたいくつかの足跡。この絵に祖母が文句を言っているのを聞いたのはかなり後になってのことで驚いたものだ。高く買わされた絵で、みる度ににくしみを感じる。「でも、いい絵でもある」と二十四の私が言ってみた。「確かにいい絵でもあるかもしれない」と言って祖母は感心している。だからきっと隠さずに憎しみながらもかけておく気になったのだろう。三歳より小さなころから私はこの絵を見上げていた。その時私は階段の曲がり角で壁に手をついて、鼻くそをほじって食べたりしていた。