自分は部屋にいる。ここにいる。ここにいる、ということが、安定しない。ここにいる、ということは、今いる、のか、それとも、かつて、ここにいた、のか。または、ここにいることが、ありえる、ということなのか。どこか張りつめた空間の印象があり、またリラックスしてもいる。心の深いところを、長い川のように流れていく静かな感情がある。これは怒りであるらしい。しかし、どんな怒りが自分にあるというのだろう。目を閉じ、力のない思考にしばらく注意を向ける。まるで空っぽのようだ。何が? この考えが。心をみつめても、空っぽな、目を見開いた、この昼過ぎの部屋が映るだけだ。その深層には何かがある、と思う。それはその通りだ。ないはずがない。ほとんど全ての記憶を失ってしまっているかのようだ。大袈裟だが、確かに、はっきりした過去の印象が、今この瞬間に立ち昇ってこない。自分という人間が、およそ存在したのだろうか。存在したはずだ。自分は自分である。また、世界という環境が、外側から縁取るようにして、一つの存在としての自分を描出する。この徒労。

 また目を見開く。道でふと猫でも見つけたように。この猫は本当にそこにいるのか? それとも、見間違いなのだろうか。いや、どうも本当にいるらしい。そうしたものとしての現実。今はテーブルにいて、コーヒーを飲み、戸外からの風の音を聞いている。死が常にそこにいる。無心に。深い水中の暗い沈黙のように。