アダルトチルドレン

 私は、「病気の子供」になりたい、となぜか思います。病気で学校を休む子供です。病気で学校を休むのが好きでした。学校という苦役から解放されるし、祖父母が心配して世話を焼いてくれる。みんなは学校に行っているけど、自分は午前中からカーテンを閉めて静かな生活をしたり、普段見れないテレビを見たりしている。そういう病気の子供になりたいのです。そうなることを自分に許したい。でも、どこかで自分が自分を責めているのです。

 

 私は保育園や小学校の頃、本当に不幸でした。以前はそれをあまり考えたこともなく、単に過去のことと思っていましたが、そこから明確に、12歳のときに変化し、今の公的な、優秀な人格をつくったんです。あれは可哀想で、別に自分が生まれつき弱い人間だったからではなく、当時の家庭の状況などから、仕方がない心の状態だったのだ、と思えることが、少し救いに感じるほどです。

 

 その時期、こんな記憶があります。わたしは、マグロの刺身を食べて、マグロの刺身を食べると大人びている、と褒められたことがきっかけで、しょっちゅうマグロの刺身を求めるようになりました。味も好きだったのかもしれませんが、不思議にそれが印象に残ります。マグロは、むしろわたしの普通の好みとはちょっと違う分野の食べ物だった、という気がして、どこか、こういう食べ物を好む姿を見せることで、認められたい、と思っていたように思います。また、私はスポーツに全く興味がなく、今もないのですが(そして、むしろトラウマのように、今もスポーツ、とくにスポーツ観戦全般をかなり意図的に避けているところがあります)、野球がちょっと面白い、と思うことがあり、父にそう告げると、名古屋ドームに一度連れて行ってもらったこと。でも、あまりその関心も長続きしなかったこと。私は野球を好むような子供であれたら、父にもっと好かれただろうに、といつも思っていました。もっとスポーツができて、スポーツ観戦も好きで、積極的な子供だったら。でも、わたしは昼休みも一人で絵を描いたり本を読んだりするのが好きな子供で、小学校のドッヂボールが大嫌いでした。私はひとりぼっちで休みを過ごすことが多く、校内のいろんな隅のところを一人でうろうろ歩いて、いろんなことを夢想しているような子でした。寂しかったのです。

 

 それくらいの頃に、「散歩中にマグロ」という変な美術の作品を作って、母に驚かれたことがあります。これは絵の具と紙と、紙粘土で作った立体的な作品で、子供の私が夜、犬の散歩をしていたら、月明かりの下で「丸ごと一匹のマグロ」が地面に落ちているのを見つける、というものです。「うちは、犬も飼っていないし、道端でマグロを拾うなんてシュールすぎる」と言って、不思議がっていました。私はでも、ちょっと解釈が違うのです。私はその当時、素朴に犬を飼いたかったのですが、うちはマンションなので飼えなかった。つまり、犬の散歩とは理想状態の夢想です。で、ここに出てきたマグロとは、形は丸ごと一頭ですが、意味合いとしては、食べ物なのです。そのマグロはさっきも述べた通り、「自分の好きな食べ物」でありながら、「成熟」と「承認」の証でもあった。だから、この作品は確かにシュールなんですが、どこか哀しさがあるのです。

 

 私は父に理解されないこと、父と自分が違うことが、とてもつらい思い出でした。いつだったか忘れましたが、父がドッヂボールに参加したことがあります。父は昔から運動神経がよかったので、水を得た魚のように活躍し、ヒーローになるのです。私は、ドッヂボールが大嫌いで、いつもそれから逃れられず、ゲームの度につらい思いをしているのに。自分は、本来こうあるべきじゃないんだ、と強く思いました。別の子供であるべきなんだ。もっと強くなくちゃいけないんだ、と。自分は日々の中で、自分がどう振る舞うべきなのかわかりませんでした。

 

 13歳くらいの出来事があります。私は、塩おむすびを好んで食べていることを馬鹿にしてきた、サッカー部の少年を、腰掛けていた机から引きづり下ろし、めちゃくちゃに殴りました。その当時の担任の先生が私の腕を掴んで、優しい男性の先生なのに、その力が驚くほど強かったことを覚えています。私は、ここで、自分が抵抗できる、やられっぱなしにはならないやつだ、ということを証明しなければ、また負け犬になってしまう、と思いました。私は怒りに駆られていたというより、クラスの中の冷静な立ち回りの判断として、この暴力を振るったのです。その子の家まで母と謝りに行ったらしいのですが、記憶がありません。これは、非常に痛みを伴いますが、私の中では確かな成功体験だったのです。そして、実際にこの出来事以来、私は無闇にいじられることもなく、フェアに扱われるようになりました。出来事の翌朝、父はもう出かけていて、母が言いました。「次にこういうことがあったら、俺があいつを殴るから」と父が言っていた、と。私は、その解釈がわかりませんでした。自分は、正しいことをしたんだ。意地を見せた。それを、評価してくれているんだろう? そうでないとしたら、矛盾している。僕に殴られたサッカー部のやつは、負け犬なんだ、と真剣に思っていました。これは、いまだに私の中では誇りある出来事なんです。歪んだ解釈かもしれませんが。そういう出来事を通じて、私は確かに、表向きの、簡単に音を上げない、交渉ごとにも向き合えるような、強い人格を育てました。

 

 こういう出来事は、それ以前の、めそめそした弱い自分との決別として象徴的なんです。だから、やっぱり思春期以前と以後で、乖離があるのかもしれません。上記の話は、単純に成長ストーリーとは言えず、どこか二重性があるようにも思うのです。

 

 ある種の無慈悲さ、暴力性と、内心の無感覚、という心の二重性が、この経験に端的に現れているかもしれません。その後、私は自分がどのように反応したかわかりません。でも、絶対に私は平然としていたと思います。私が殴った少年に対してさえ、多少気まずさがあっても、フェアに応対したのだと思います。お前は受けるべき報いを受けた。俺はそれを実行しただけだよな? 誰も文句はないはずだ。お前は負け犬で、俺は自分のプライドを守った。立場が逆だったら、同じ構造が反転するだけだ。なぜ俺がお前にすまないと思う理由がある? 仲良くしようぜ、なすべきことは終わったんだから。

 

 なんとなく、こういうことを思い出すとき、血の味がするような、ひりつくような感覚があるんです。無感覚、平然、フェアネス。この裏には激しい暴力性がある。なんというか、これが私の人格自体を二つに分けているところがあるのかもしれません。私はある面、血を見ても平然としている。のんびり構えているようで、実はかなり闘志があるというか、激しい性格です。一方で、反面の自我は強烈に傷を抱えていて、時に倒れそうになっており、心の中に異性への強い渇望を抱えているわけです。