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逃げろ

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逃げるんだ



 記憶の深部に流れる、冷たくてきれいで、緑にあふれ、静かなせせらぎを立てる川。そこには釣り人がいて、僕たちは橋の高いところから、そうした人たちがそこにいるのを眺めている。彼らの顔は識別できない。若者もいれば、年老いた人もいるのがわかる。彼らはこの川や、山での釣りということに慣れていて、動きは非常に自然でなめらかだ。まるで何匹かの鳥が空を渡っていくのを眺めるように、風景に溶け入っていた。

 

 大きな荷物を持って、角島さんは彼女のアパートの玄関で柱に手をつき、今履いたばかりの靴を直している。そして僕のことを、上目を使って少しみた。そんな角島さんの表情や眼を、僕は何度かみたことがあるように思ったけれど、それがいつのことだったのか思い出せない。彼女の眼は僕に何かのメッセージを訴えているように思ったのに、それは不鮮明で、読みとることができなかった。彼女が部屋を出ていくとき、僕はもう二度と彼女に会うことはできないのでないかと思った。

 

 (夢)それは何か、空に黄色い絵の具を使って、大きな絵を描く、というような印象のことだった。そうして絵が描かれるのは、僕が小さな頃に住んでいた団地のある街だった。僕の家族の部屋は、斜面の少し高いところにあって、山や坂に囲まれて盆地状になったその街と、その上の空を全部臨むことができた。窓辺で過ごしている昼下がりに、ヘリが遠くまで響く音声で何かを伝えながら飛んでいくのをみるとき、あるいは、その上空に飛行船が飛んで、その姿がさっきまではとても大きかったのに、今では嘘みたいに小さくなっているのをみたとき、僕はその空をとても広く、深いと思った。

 

 青黒い顔が黒い水の水面から現れてくる。それは産まれたての人間のように、ぬめぬめとした膜に覆われているようにみえる。それは成人した男の顔だったが、女性的でおだやかな印象を受けた。眼と口はやすらかな眠りによって閉じられている。

 その顔を月明かりの下でみたとき、僕は夜中の船の上にいて、海上ですべての明かりが消えていた。遠い海岸に街の灯りがみえる。その光はぼんやりとして眠たげで美しく、ここはまるで夢の中か、あるいは船の上にいる自分こそが、幻のようだと思えてくる。