2016.7.5

夏だったけれどリビングの窓が開いていると廊下も風が吹き抜けて涼しかった。壁に反射して白い光が洗面所のある廊下へも流れ込んでいる。レースカーテンを膨らませていた風がしっかり留められていない小部屋のドアを吹き飛ばして、金具を打ちつけ大きな音を響かせる。

 ザリガニがいて深い青いバケツいっぱいに入っていた。父の勤め先の事務所の前には、近所ではみたことのないほど幅の広い溝があって、たっぷりした水が川のように小さく波立ちながら流れていた。その水は澄んで底の緑のコケや、陽から遠くて黒く静かにみえるザリガニ、水面近くを泳いでいるオタマジャクシもみえた。網ですくっていくらでも捕れたザリガニを全部持ち帰ってきたのだけれど、そのバケツを家のワゴン車で運んだのだろう夕方の記憶は彼にはない。今では一本の支柱から枝状に伸びた腕に家族の帽子や上着をかけるようになっているコートかけがその頃にはなくて、玄関の隅のその場所にバケツは置かれ、水の底が静かだったように日曜の昼間、廊下はひっそりしていた。

 磨りガラスの小窓から光の入ってくるその下で、ちゃぷんと音がした。水はとてもきれいで、小さな黒いごみつぶのいくつか浮かんでいるのを除いたら、本当に透明だったのだと思うけれど、本当はきっとそうではなかった。とてもにおったからだ。海みたいな、魚みたいなにおいがすると思った。ザリガニは死にかけていた。その昼は生きていた。数日もしないうちにみんな共食いして死んでしまった。後で一つのところへ入れておくとそうなってしまうザリガニの習性を知った。それは母が調べたのだった。

 母は膝の上で夜、本を閉じた。丁度赤いザリガニが表紙でヒゲをもたげている、水に住む生き物についての図鑑だった。その本の中には、ザリガニの共食いのことは書いてなかったけれど、何でも気になったことを調べる手間を惜しんではいけないと、その日ではない別の日に、繰り返し母は言っていた。