『想像力』

 

 想像力があるから暗闇がこわくなるんだな、とひとりで夕食を食べた夜十四歳で思った。羽根にほこりのつもった換気扇を止めた。冷蔵庫が鳴っていた。

 厚いガラス皿に切られたリンゴが用意してあるのを隣りの居間のひくいテーブルで食べながらテレビをつけた。子どものころにこっちの家でよくみたNHKの教育番組のやや改変されたのがやっていた。ヤギが出てくる。坊主頭の茶色いお笑い芸人が出てくる。テレビを消した。

 憲法9条をテーマにしたカレンダーがドアにかかって、柴犬の写真が観葉植物に隠れている。古い通販で買ったトレーニング用の自転車を漕いだ。漕ぎつづけた。この自転車は彼が生まれる前からこの家にあった。車輪は重い鉄でできている。

 呼び鈴が鳴って、薄い緑色の作業着をきた見おぼえのある青年がクール宅急便を届けにきた。蟹が届くと頼まれていたから忘れずに持ってきたハンコをついた。

 白い蛍光灯の下で発砲スチロールの包みをあけた。中には蟹が入っていた。磯の匂いが少しした。確かに蟹だな、と彼は思った。

 蓋をしめてそれをそのままテーブルに置いておいた。冷凍庫には入らない。

 またテレビをつけると、スタジオでミルクを仮装した出演者たちが飲んでいた。皮のソファに彼は脚をのばして寝そべった。リンゴを噛んでいる。リンゴを噛みつづける。口のなかで細かな繊維にまでひと切れのリンゴはくだけてしまう。唾液にまじり舌にからむ。母が音もなく食卓の部屋へ入ってきて重いビニール袋を置き息をついた。

 お参りはもうした? と母が聞くかと思った。だから返答のことを考えていた。もうしたよ、わからないの。あっちの部屋から線香の匂いがするでしょう。線香の匂いがしない?

 母が何も言わなかったが、すぐに父が弟たちをつれて入ってきて、玄関はサンダルだらけになった。

 蟹について彼らと話さなくちゃな、と思ったとき、もう立ち上がっていた。