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ハイになったりローになったり

忘れていたのに思い出したようなこと

 

家族旅行で誰も予定していなかった変なバス停で待つことになったこと。これは大雨になるぞと父が言って屋根があってよかったねと話していたのに降らなかったこと。でもテレビで今日は記録的な豪雨でしたとホテルの部屋で見たこと。

 

 あ、校庭に白い犬が忍び込んでるなと思って余所見した後、気のせいのようにいなくなっていたこと。そして○○さんお留守になっていますかと別の子が前の席で注意されたこと。

 

 暗い湿った林に面した体育館裏の扉に二つ星や四つ星や五つ星や色々なテントウムシがいたこと。見上げるとざわざわ言う高い木立からいつも空が白っぽかったこと。

 

 引っ越しを手伝いに行ったいとこの家で夜大人たちがすき焼きを準備しているとき、荷解きされていない暗い二階の部屋へ忍び込んだこと。窓から見下ろすと二階建てにいるはずが遥かに低いところに地面があって、オレンジ色の眩しい光の下で軽トラックから何かを降ろす相談を大人たちがしていたこと。父も母もそこにいて何かイルカみたいな生き物でそれはあったこと。降りて行くとこんな部屋はなかっただろうと言う白々した蛍光灯の応接間で、年下のいとこたちが集まって変な風にけん玉で遊んでいたこと。すき焼きはなかなか完成せずに九時頃まで呼び声がかからなかったこと。

 

 丁度こんなスクリーンがあって、とAが言ってその続きを口にしなかった。明かりを消して夜通し話していたのと同じ悩み事をBがまたはじめたからで、もしかすると本当にこのホテルだったのかもしれなかった。子供によって差がある、つまり次男坊なら物心ついた頃から旅行で出かけた場所を大体知っていたし車に乗りながら標札を話題にしていた。Aは高校生になっても自分がどこへ向かっているのかほとんど関心を持たなかった。頭の中に地図を持ってないからどこへ行ってもワープしたみたいに感じるので面白くないと、父や母に言われたことと自分の考えをまぜこぜにして友達に話していた。だから土地としてどこへきたのかもわからないし、こうしていま赤い絨毯と真鍮と鏡張りのカウンターがあるレストランへ入ってきたときすでにきたことがあるような気がしたから実際にそうなのかもしれない。スクリーンは音が切ってあって今朝は画面も切れている。そこでハリウッド映画だったらしいが髭面のカウボーイが黒い馬に乗って、夕暮れの高層ビルの上層階の窓を突き破って飛び出してくるのが見えて、心を惹かれたのだった。何の映画かわからなかったし、そんなものが気になっていると父や母に言ったこともない。自分でレンタルDVDを探してみたこともない。映画は実在するだろう。現物を見たら記憶とは違っているかもしれない。だったらどうという話でもない。馬、カウボーイ、ビルのガラスが割れる、夕暮れ、目線を下げると暗い雪の夜。自分の盆を持ってBが席に戻ってくる頃にはAはその短い追想をすっかり忘れた。Aが馬の映像を見た夜は五歳の弟が激しい熱を出した夜で、夜中の客室には全部で五人の家族と医者、看護婦、二人の従業員がいて、ベッドを囲っていた。酔ったみたいにざわざわしているな、と眠い目で見ながらAは思っていた。