with no trace

これまで何をし、

どこに行き、

誰と出会い、

何を話し、

何を思い、

どんな感情にとらわれ、

頭は記憶に溢れていたとしても、

家についたなら息を整え、

シャワーを浴び、

歯を磨き、

服を着替えて、

そのソファに落ち着いた顔で座っていたなら、

君の過去は誰にもわからない。

さっきまで洞窟で話していた、あの人相の悪い男は、
指名手配犯だったのだと、表に出た張り紙をみて知る。

少しためらって、結局警察に電話をする。
けど、窓口の女の警察官が要領を得なくて、まともにことが進まない。

僕が通報していることがあの男にバレたら、
ひどい目にあうだろうな、と思って焦る。

朝目が覚めたとき、薄暗い部屋で、居間に怪物がみえる。

変な黒い塊で、とても危険なものだ、という印象を、その瞬間に僕は抱いている。

声を上げる。

でも、よく見るとそれはただの扇風機で、一度扇風機にみえてからは扇風機にしかみえない。

 

こういうことはよくある。

思うのは、結局それは扇風機だったのだから、扇風機なのだ、と言えるのか、ということ。

明らかに輪郭上も怪物とはみえないものを、何だかわからないので、

心がそこに怪物を投影している。

後から、それが怪物ではないと判断して、今度は、

扇風機を投影しているわけだが、

実際そこにあるのは、

怪物でも扇風機でもない何か、だ

ということができないかと思う。

 

というか、実際そうなんだろう。

ここにあるのは、怪物でも扇風機でもない。

 

そして、一方で、

これは怪物である

これは扇風機である

という判断を下しているのは、

僕の心であり、それは自分でコントロールできない深いところで、

なされている処理だ。

 

あるものを、

怪物にみせ、

また扇風機にみせている、

心の根本的な働きとは何か?

何がそうさせているのか?

 

これもまた問題だ。

 

つまり、

外界には「あれでもなく、これでもない何か」があり

内部には「あれをこれと見せ、これをあれと見せる何か」がある。

 

そしてその二つとも、意識には昇ってこない、

分かってしまうと危険なもの、と言える。

 

僕はこの二つが非時間的なものだと思う。